まだまだペンキぬりたて

ライトノベルの感想

原作ファンから見た映画「小説の神様 君としか描けない物語」感想

shokami.jp
 めちゃくちゃ楽しみにしていた映画「小説の神様 君としか描けない物語」観ました。公開日に観てから、原作を読み返し、漫画版も読み返し、そしてもう1回観たので感想書きます。
 そもそものスタンスの話をしておきますが、僕は実写映画に対しての忌避感はあんまりありません。原作から変更されている部分があっても、それが1本の映画として成り立っているのなら、それはそれでアリだと思っています。それで原作に触れてくれる人が一人でも増えてくれればありがたいわけですからね。もちろん、原作を愛している一ファンとしては、「ここはもったいないな~」とか、「あの場面をカットしちゃうのか~」とか、思っちゃう部分はどうしてもあるんですけど、原作と異なるというだけで角突き出すのはやっぱり違うかなとも感じるので、オリジナルでも良かったところは素直に認めていくという心持ちで書いていきます。あと僕は映画オタクでもなんでもないのでまるで的はずれなことを書いていたりしたら笑って流してもらえれば。ネタバレ大盛りなので未見&未読の方はご注意。


良かった点

①第一章「千谷一也」の演出
 映画が始まってまず「おっ」と思ったのは画面がモノクロだったこと。灰色の毎日を送る一也の心象風景を描くのに、まさかこうやるとは。それでも小余綾と出会うあたりでカラーになるのかななんて思っていたら、第一章ほぼ全部それで通してきたので驚きました。おい、てめ、ふざけんな、早く橋本環奈をカラーで見せろ、という思いもありつつ(笑)、いざ世界が色づいたときのインパクトは素晴らしかったです。


②存在感のある大人たち
 大人たちの存在が、原作に比べてかなりフィーチャーされていたと思います。担当編集の河埜さんは原作だと、もちろん一也たちを導く立場ではありつつもどちらかといえばお姉さんという印象が強かったのに対し、映画の方でははっきりと「大人」ということを感じさせる優しくも厳しい女性になっていました。一也母にもオリジナルのシーンが用意されていたし、一也父の回想は何度も挿入されて強く印象に残ります。片岡愛之助さんによる一也父の味わい深い演技は見事でしたね。原作とは少し印象が違いつつも、魅力あるキャラクターになっていたと思います。


佐藤大樹さんの演技
 僕は普段、本当に邦画もドラマも見ないので、一也役の佐藤大樹さんのことは初めて知りました。EXILEだと聞いてぶっちゃけあまり演技には期待していなかったのですが、荒削りな部分もありつつ、「物語の断絶」のシーンや、ラストで小余綾に電話をかけながら走るシーンなど、目を惹く演技がいくつかあって良かったです。ただちょっと、陰キャ作家の一也にしては体が仕上がりすぎてるかな!(笑)


④橋本環奈がかわいい
 いやもうぶっちゃけこれに尽きる。知ってますか? 橋本環奈ってかわいいんですよ……(全日本人が知ってるな?)。正直、小余綾詩凪としては「うーん」と思うところもいっぱいあります! もうちょっと身長がほしいし、物語を語る場面ではもっと感情豊かに喋ってほしいし、ストーカーを怖がる演技は逆にもう少し抑えてほしかったかなーとか、色々あるんですが、そういった部分を覆い隠すくらい圧倒的に顔がいいので10億点。やっぱり画面に華が出るし、何より美少女作家の説得力がある。ふとした瞬間の表情や、一也を睨むときの眼力の強さにガツンと来るものがあって、やっぱり特別だわって思いました。

「あれ?」と思った点

①九ノ里のキャラクター造形
 たぶん原作から一番変更が加えられたのが彼。原作では物静かで理知的、それでいてときに強引なブレない姿が魅力的な文系少年ですが、映画の方ではクラスの中心にいるタイプの明るく朗らかな陽キャに変貌していて初見ではだいぶ面食らいました。まあこれはこれで悪くないキャラ造形ではあったのですけど、他のキャラクター陣はそこまで大きく変わっていないのに、なぜ九ノ里だけ? という違和感は残ります。「読者」にしかなれないという彼の立ち位置を明確にするためのキャラ付けだったのかなあ。それにしてもちょっと口が軽すぎるんじゃないですかね……?


②なんでテニスに?
 原作でも漫画でも取材に行くのはバドミントン部だったはずなのですが、なんでテニスになったのか……? や、別にテニスでもいいっちゃいいんですけど、なんで? バドミントンじゃ絵面が地味だなってこと? バドミントンならともかく、陰キャな一也がそれなりにテニスできちゃうのはちょっと謎では? この取材のあたりはストーリーも結構変更されていて、原作ではこの一連の流れで一也と小余綾の距離がぐぐっと縮まったところだけに、ちょっとあれれ? と感じました。


③「人間が書けてなさすぎる」はどこに
 小余綾に対する一也の人物評といえば「人間が書けてなさすぎる」だと思うのですが、このワードが映画では一度も登場してこなかったので困惑しました。実に小説家らしい文句でとても気に入っているので、正直残念。

不満な点

①やや演出過多
 良かった点の①と表裏なんですが、ちょーっと演出に重きが置かれすぎてる場面が多かったかなって思いました。各章の始まりとか、謎のPVみたいな映像のバックで歌が流れ出して「えっ何これ」って思ったし、「断絶」の場面で歌が流れたのも個人的にはちょっと安っぽく感じました。お話的に画面が地味になりがちなのでどうにかしたいっていうのも、まあ分かるんですけど。


②秋乃、早々に秘密を知る
 九ノ里のキャラ変の影響もあり、早々に一也と小余綾が商業作家であることを知ってしまう文学少女秋乃さん。やーちょっと、それはさすがに情緒がなさすぎるような気がしませんか……? 別に、彼女がその秘密を知らなければならない必然性もなかったように思うんですけど、どうしてこうなっちゃったのか。


③秋乃の葛藤が丸々カット
 小説を書くことと、小説嫌いの友人の間で揺れる秋乃。そんな秋乃が葛藤の末に思いを吐き出す、そんな姿が原作での大きなハイライトですが、そのあたりの事情は映画の方では完全になかったことに。尺の都合とかで片付けるのは簡単だけれど、秋乃は本当に悩んで悩んでそれでも小説を書きたいと一歩を踏み出すことができた魅力的な女の子なので、そんな彼女の魅力が全部どこかに行ってしまったのは、やっぱりもったいないと感じてしまいます。

全体の感想

 俳優さんの演技や第一章の演出など、ところどころ目をみはるような瞬間もあり、単体の映画としては面白く観られるのではないかなと思います。一方で「小説の神様」としては、ある大きなテーマを意図的に描いていないなとも感じました。それは一也のような日陰の人間と、小余綾のような陽向の人間の対比です。共作の主人公に一也が自分を投影させて主人公像を変えようとする場面はカットされていたし、「人間が書けてなさすぎる」に代表されるような小余綾の完璧っぷりはそれほど描写されていなかったように思います。映画での一也と小余綾はあくまで「売れていない作家と、売れている作家」でしかなく、その他の作家性とか人間性について原作で描かれていた場面はわりと大胆にバッサリ行かれていたなあという印象です。原作ではむしろそのあたりこそが物語の本質だと思うので、原作ファンにとっては結構違和感があるかもしれません。映像として描くにはたぶん難しいテーマでしょうし、分かりやすさ重視だと仕方がないところかなとも感じますが。ただ初めに書いたとおり、俳優さんは良かったですし、佐藤さんや橋本さん効果で新たな客層もゲットできると思うので、この機会に1人でも多くの人が原作や漫画版に触れてくれると嬉しいですね。漫画版は先日3巻(惜しいことに完結巻)が発売されましたが、こちらは原作に沿いつつも新たな魅力を生み出している素晴らしいコミカライズになっているので、原作ファンにも胸を張ってオススメできますよー!

もちろん原作もね! 僕の人生で十本の指に入る大傑作!
小説の神様 (講談社タイガ)

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